フリー編集者の人生を見つめる日誌

〜生きることってどんなこと〜

道に人が倒れていたら通報すべきか

f:id:mih0o0o0:20230929170217j:image

今日、池袋駅に向かう途中、倒れている人を見つけた。時間は正午ごろ。

最近、仕事とは別に、取り組んでいるプロジェクト(社会人向けのアート福祉コースに通っている)があり、ボランティアをしている人へリサーチインタビューをした帰りだった。私の他に2名のメンバーがいて、話を聞いて心が満たされ、ホクホクとした気分の帰り道。

池袋の繁華街を抜けるころ、やよい軒の側溝に人が転がっていた。それもうつ伏せのような変な格好で。一瞬「えっ」と思ったが、それよりも先に中国人らしき中年女性が、ギョッとした顔で転がった人を見ながら電話をしている。私と目が合う。なんだかわからないけど互いに近づくことになり、女性のほうが先に口を開いた「この人顔真っ白。蒼白してるよね。ちょっとやばいかも。救急呼んだほうがいい」と言った。そして、呼んでね、お願いお願い、と言って、なぜか私に任務を託した。焦る手で110番を押す。

側溝に倒れていたのは、茶髪でストライプのシャツに黒のスラックスパンツを履いた推定30代の男性。ウエストポーチのようなバッグも転がっている。私はなんとなく、ボーイっぽいな、と思った。そして顔を覗き込むと横顔(と言っても目とかまでは見てない)が見えて、確かに白くて黄色い顔をしていた。肩というか背中も動いてないように見える。死んでるのかも、とも思った。

110番に電話をかけると、「事件ですか、事故ですか」と定型分が聞こえた。何度か救急車も警察も電話をしているので、初めてではないのだけれど、こんなときあまりうまく答えられず、「ひ、人が倒れてます!池袋です!」と伝えた。どの辺りですか?と言われたけれど、池袋に土地勘がなく、わからないなと思ってると、「GPSでは〜のあたりですが、合ってますか?」と言われた。便利な世の中になったのだ。すぐに駆けつけてくれることになり、私はそれまで少し待つことになった。立ち去ってもよかったみたいだけれど。

するとほどなくして警察官2人が歩いてやってきた。あ、救急車だと思ったんだけどな、と思った。警察官は軽やかに彼の元に近寄り、医療用のようなゴム手袋をはめ、「お兄さん! お兄さん!」とゆすった。見守る野次馬たちに緊張が走る……。

すると、「うわぁぁあああんんん」とその男は泣いた。

よかった、生きてた。警察官は「なんで泣いてるの! 何があったの」と聞いた。私たちは安堵してその場を立ち去った。警察官にはなんだかいいイメージがないけれど、今日こそは心の底から感謝した。たぶん側溝の彼は朝まで飲んでいたんだろう。普通の酔っ払いであることを願う。

ちなみに、私に救急車を呼んでと言ったあの中国人女性は、私が電話をするとするりとどこかへ消えた。このことを私の恋人に話すと、その女性、ノービザ(不法滞在)だったのかなぁと言った。でも彼女に強く言われなかったら、私は見て見ぬ振りをしてしまったかもしれない。どうせ酔っ払いだよね、と。

こういうとき、酔っ払いはだいたい酔っ払いらしく寝ていることが多いから、基本は無視してしまう。ただ、たしかに今日の男性は死んでるみたいな倒れ方だった。夜の街に慣れていそうだった中国人女性も、これは…と思ったに違いない。結果として生きていたからよかったけれど、普通どんなアクションを取るのがいいのだろう、と思って少し調べてみた。

私は救急車(119)を呼びたかったのに、間違えて警察(110)を呼んだけれど、どうやら110番通報でよかったらしい。ということは、交番勤務の警察官は毎日こんなことに対応しているんですね。大変な仕事だ。ほとんど福祉というか医療じゃん。

タイに数年、あとはカナダとアメリカに数ヶ月ずついた経験もあるけれど、道に酔っ払いが寝ているというのは日本以外で見たことがなかった。もし外国で寝ているとしたら、その人はおそらくホームレスとか、何かしらの問題を抱えている人。日本は平和なんだろうか。あの光景を見て、不思議と寺山修司の『田園に死す』を思い出した。男が変な格好で転がっていて、その周りには中国人の中年女性と私、さらには車から杖をついたお爺さんが出てきたり、通行人が足を止めたり、なんだか奇妙な空間だった。けどあの人が生きていてよかったし、通報してよかったのだと思う。泣いてたのは、なにがあったんだろうか。

(ちなみに写真は関係ありません。キャンプ場で寝ている男性です)

人間の相性の不思議

f:id:mih0o0o0:20230927155617j:image

元パートナーでアーティストのピートは、私に「もっと表現してほしい。前みたいに絵を描いたらいいじゃん。あの絵、僕の友達たちも好きだったよ」と言った。

多分彼は私にアーティストになってほしくて、でも私は現代アートをやっている彼と自分を比べてしまっていて、「私はクリエイターであって、アーティストじゃないから」といつも自分を卑下していた。彼も私がそんなことを言うもんだから、「ミホはアーティストじゃないから」というような調子だった。

別れる直前、彼はとても混乱してた。だって彼が(私がいるのに)好きになってしまった人は、超かっこいいバリバリのアーティストだったから。それもあって多分、「自分が彼女にこんなに惹かれてしまうのは、彼女がアーティストだからだ。ミホがアーティストじゃないのがいけないんだ」とか思ったのかな。極端な例だけど。それで決断前は、「もっと絵を描いてよ」とか「表現しなよ」「最近は(資本主義的な)仕事ばかり」「キャピタリズムクイーンだよ」とか言われていた。

私もその頃は、一連の不安神経症パニック障害とか)から復帰したばかりで、とにかく社会に必要とされることの方が嬉しかったし、自分の能力でお金を稼いでいることの方が価値があった。だって、フリーランスだし、お金は目に見えて自分の価値、能力の価値がわかりやすいから。もともと微々たる表現はしていたけれど、世に向けて大々的に発表するとかでなく、絵を描いたり、写真を撮ったり、詩を書いたりしてた。たまにいいね、と言ってくれる人がいたら、なんとなく小さく展示させてもらったりすることもあったけれど。けれど自分の表現というものは、仕事のなかにあるのだと思っていた。

そんな元パートナーと暮らしたほとんど最後の1ヵ月のことをzineにした。その頃はまだ別れるなんて思っていなくて、でもどこか噛み合わないこともあって、泣いた夜もあった。そのことも全部zineに書いた。それが自分のことを表現して、世の中に出す、丸裸になるという最初の一歩だった。そこから仕事への向き合い方も変わって、もっと自分の表現がしたいと思ったし、ピートがずっとやってきたこととか、周りのアーティストの友人たちがやってきたことがなんだったのか、初めて理解できた。

けれど、そのzineを出して3ヵ月後くらいに別れることになった。離婚届をちゃんと出したのはそれから約1年後とかになるんだけど。

でも1つ目のzineを出してから、zine作りにはまって、続けていくつか作った。けど1作目より納得のいくものは実はまだ作れていない…と思う。別れて、毎日泣いた。いまでも考えると泣いてしまう。彼を失ったことも辛いけれど、自分がうまくやれなかったことを後悔するようになった。当時は、これ以上自分から人を愛することはない、自分にできる精一杯の愛情を傾けている、だからきっと別れても後悔しないだろう、とか思っていたけれど、よくよく考えると、やっぱり自分にも非があったと思う。そのことを思うと辛い。

けどそんななかでも新しい恋人ができた。別れて半年くらいで新しい恋人がいる自分にも辟易するのだけれど、そういうタイミングだったのだから仕方ない。新しい恋人もやはりアーティストで、しかも元パートナーのよい友人だった。2人はタイプは違えど同じミュージシャンで、一緒に作品をつくったりもしていた。新しい恋人は私とピートの関係をよく理解していたし、一応いろんなことをひっくるめて一緒にいてくれている。

新しい恋人は「アートは生活だ」「アーティストは生活者だ」という人で、ピートの考え方と少し違う。「でも僕もまだピートくらいの若いときは、アートを崇高なものとして捉えてたし、アーティストである自分のこともそう思ってた」と言った。けれど30歳くらいで挫折を経験し、アートを崇高なものだと思うことをやめたのだそう。

そして新しい恋人は、私のことを「ミホちゃんはアーティストだから好きだ」と言ってくれる。彼と付き合ったからなのかよくわからないが、私はいまかなり精力的にいろんなことに取り組んでいる。1作目のzineは今さらになっていろんなフェアなどに呼んでもらえるようになったし、自分の小さなお店(みたいなもの)のオリジナルプロダクトを作ったりもした。最近はインスタグラムに書いていた言葉を拾って新しいzineを作ろうとしているし、他にもエッセイみたいなものを書いて出したいとも思っている。

そんなこと、つい1年前までは思いつきもしなかった。やろうと思えばやれるんだ、と思った。薄い透明の皮が私の周りにあって、それを破ったら外は広かった、みたいな感じ。

元パートナーは、私にアーティストになってほしかったけれど、私は彼の前ではアーティストになれず、新しい恋人の前でやっとアーティスト(と言えるかわからないけど)になれた。それって人と人との相性もあるのかなとも思う。でも人生はやっぱり皮肉だ。

4/13(木)タージ・マハルとアグラ城のツアー

f:id:mih0o0o0:20230905001537j:image

※この記事は、インドzine完成を記念して、過去(2023年4月)の日記を公開するという、極個人的なイベントによるものです。

前回までの記事はこちら:

mih0o0o0.hatenablog.com

4/11(火)朝のガンガー

4/10(月)ヒンドゥー教の聖地・バラナシ

4/9(日)南インド・チェンナイ2日目

4/8(土)インドについた

-----------------------

北インド・デリーに来た理由は、タージ・マハルに行ってみたかったから。タージ・マハルのあるアグラ市は、デリーからは距離がある。最初は宿泊する?なんて話もあったけれど、デリーからはいくつも日帰りツアーが出ているので、それらを利用することにした。自分たちで電車で行くという手もあったけれど、とにかく楽なほうを選ぶことにした。それで正解だった。

f:id:mih0o0o0:20230905001637j:image

日本語ガイド、昼食、タージ・マハルとアグラ城のチケット、交通費などなどがすべて含まれているというツアー。まだ体調は優れなかったけれど、とにかく熱いチャイをキメて、迎えのタクシーに乗り込む。人でごった返すニューデリー駅を素通りして、次の駅(名前を忘れてしまった)から電車に乗り込む。2等だったけれどクーラーもついて、リクライニングシートだし、食事も出て、コンセントもあるし、なかなか快適だった。

f:id:mih0o0o0:20230905001729j:image

2時間くらいであっという間に着いた。やっぱり線路沿いは貧しそうな町や家や人が多かった。なんでかな?と隣に座ったMちゃんに訊いたら、「みんなが住みたくないところだからじゃない」という答え。たしかにそうだ。

 

タージ・マハルのある駅に着くと、声かけのおっさんたちであふれかえっていた。これを吟味しながらタクシーを探すのは辛かったね、私たちはツアーを頼んでしまってよかったね、と話した。ガイドさんとは駅で落ち合った。ちなみに彼は弁護士で、小学校のオーナーでもあって、夢は議員になることで、ガイドの仕事は暇をみてやっているとのことだった。何を信じるべきかわからない。弁護士カードとか学校の写真も見せてもらった。日本とインドの常識の尺度が違うのだから仕方ないか。

ツアーの車に乗ったら花のネックレスのプレゼント。ヒンドゥー教でおなじみマリーゴールド



タージ・マハルへは車ですぐだった。周りには何もなくて、ただポツンとその墓(=タージ・マハル)がある。インドの灼熱の太陽が地面へと注ぐし、私たちはそれを直で受けることになる。


f:id:mih0o0o0:20230905001913j:image

f:id:mih0o0o0:20230905001917j:image

遠くから見たタージ・マハルは、よくポストカードで見るそれとまったく同じだった。真っ白で美しい曲線を描いた建物。インドはヒンドゥー教だけれど、これを建てたのは、イスラム王朝ムガル帝国・第5代皇帝シャー・ジャハーンらしい。だから建物はイスラム建築。昨年トルコでいくつも見た建物に似ていたもの。そう考えると、当時のイスラム建築の技術の高さがうかがえる。

 

タージ・マハル建築の特筆すべき点は、象嵌(ぞうがん)らしい。象嵌とは、土台となる素材を彫って、そこに別の素材をはめ込んでいく技術のこと。やきものの象嵌については知っていたけれど、大理石などでも行われるということは知らなかった。タージ・マハルにはお花の柄やイスラム語が描かれているのだけれど、これはペイントではなくすべて象嵌。だから350年以上経っても消えることがないんだそう。


f:id:mih0o0o0:20230905002033j:image

f:id:mih0o0o0:20230905002038j:image


外は焼けつくように暑かったのに、タージ・マハルの内部に入ると、ひんやりと冷たかった。これだったら多分クーラーはいらないと思う。昔の建物はよく考えてつくられていたんだなと思った。もし世界が利便性やお金に惑わされなかったら、もっと環境に優しい暮らしができていたに違いないのに。

 

ちなみに、タージ・マハルは、この5代皇帝と妻が眠る墓。彼には何人もの妃がいたらしいのだけれど、ムムターズ・マハルという妻をたいそう気に入って(美しくて若くて聡明だったらしい。グサグサくる)、早死にした彼女のために、22年間かけてこの墓をつくったんだってさ。死んだあと、22年も愛が続くってすごくない?

 

アグラ城は、日本人の誰かのブログで読んだけれど、ルパン三世の“カリオストロの城”そっくりな気がした。赤くて、無骨で、すごく大きなお城。


f:id:mih0o0o0:20230905002222j:image

f:id:mih0o0o0:20230905002226j:image

お城として機能していたのは300年くらいらしいけれど、その間一度も敵に攻め込まれたことがないんだって。城塞はものすごく高いし、城塞を登れたとしても、その途中にライオンとかトラとかクマとかの獣を置いておいたらしい。お城の中央の道も傾斜がついていて、敵が入ってくると油と水を流せるような仕組みになっていた(ヌルヌルすべって進めない)。

そしてここでもたくさんの象嵌細工を見ることができた。

f:id:mih0o0o0:20230905002318j:image


f:id:mih0o0o0:20230905002322j:image

f:id:mih0o0o0:20230905002358j:image

3代の王様が住んで、それぞれが増築をしたので、住まいに個性が出ていておもしろかった。タージ・マハルを建てた第5代皇帝シャー・ジャハーンがつくった部屋は、やはり大理石でできていて、美しい象嵌が施されていて、まるでタージ・マハルのようだった。

 

Mちゃんは昨日から体調が悪くて、アグラ城は断念。ツアーに組み込まれているお土産屋さんで休んでいた。たぶん私とMちゃんは何かに感染したんだと思う。Mちゃんと無事合流して、デリーのホテルへと戻る。ホテルでルームサービスを頼んで、今日は終わり。

f:id:mih0o0o0:20230905002449j:image

4/12(水)旅の終着点、デリー

※この記事は、インドzine完成を記念して、過去(2023年4月)の日記を公開するという、極個人的なイベントによるものです。

前回までの記事はこちら:

mih0o0o0.hatenablog.com

mih0o0o0.hatenablog.com

mih0o0o0.hatenablog.com

mih0o0o0.hatenablog.com

-----------------------

 

旅の最終地点、デリーに着いた。空港からはUberで市街地へ向かう。インドの大都市ではUberが使えるので便利だ。Ola(オラ)というサービスも人気らしいけれど、インドの電話番号がないと登録できず、以前から使っていたUberにした。旅行前に日本でどちらもダウンロードしておくと便利かもしれない。

 

車を30分ほど走らせると、混雑した街の中にあるホテル「the prime hotel」に着いた。Booking.comで予約していたので、パスポートを出す。ちょっと待ってて、とロビーに案内されると、ドラゴンボールドドリアさんみたいな顔をした支配人らしき人が、「このホテルには泊まれなくなったので、私たちの別のホテルに案内します」と言う。そのホテルは「the empire hotel」。でももとのホテルより格下だ。やれやれ。

 

「泊まれないのはわかったけど、そんなのってありえない。お金はちゃんと相応に安くして」と言うと、電卓を叩くドドリアさん。ほんの少しだけしか下げない。「どーすんだ? 泊まるのか? それとも新しいところを探すのか?」こいつら、足元を見てやがる……。「この件については、booking.comに報告しますから」と言い、とりあえず新しいホテルへ案内してもらうことに。部屋を見るもカビ臭い。しかもハエがぷーんと舞っているではないか! 無理だ……。

f:id:mih0o0o0:20230903135723j:image

フロントにいるお姉さんに、「他のホテルも検討したいから、泊まるかはわからない」と言うと、「値引きするわ。この辺ではここが一番いいホテルよ」と食い下がってくる。が、もう最初から最低だったし、このホテルグループにお世話になるのはやめようと、事前にチェックしていた、近くの別のホテルへと向かう。

 

ホテルの名前は「Hotel Ritz」。入った瞬間、空気が違う! 今までのホテルはどんより悪い“気”みたいなものが立ち込めていたけど、ここはとっても綺麗で重厚感もあって、何より支配人がとても聡明そう。やっぱり顔相ってあるんだなと思う。

これまでのことを愚痴ると、その愚痴に乗るわけでもなく、スマートにニコッと笑った(その近くにいたおじさんは、共感してくれて、「そいつはよくないね」と顔をしかめた)。

部屋もクリーン。ここに決めた。しかもさっきよりも安い。あーよかった。

 

やっと部屋にチェックインできたのが17:00頃。少しゆっくりして、買い物と夕飯を食べに、セントラルパーク付近へ。

まず行ったのは、「people tree」というデザイナーズのショップ。クラフト系で個性的で、すごく好きな雰囲気だった! 染め物のブラウスとか陶器とか本とかいろいろあって、私はブラウスとピアスを買った。そのとなりの「the shop」というファブリックの店もセンスが良かった。インテリア雑貨を中心に、アパレルアイテムなんかも取り扱ってる。ここでは刺し子のショルダーバッグを買った。(最近閉店してしまったよう)

people tree いい店だった

夕飯は「people tree」の近くの「kwality」で。歴史あるレストランらしく、内装が大変豪華。ピアノの生演奏もあって、客はみんな政治家みたい。我々はバカな旅行者として、いくつかの料理を注文。水を頼んだら600円くらいのものが出てきて驚く。安いミネラルウォーターでいいよ、と言うと、貧乏人認定されたようだった。ただごはんはどれもとてもおいしかったよ。ケチでごめんね。

 

昨日からの風邪らしきものにより疲れているため、早めに就寝。

4/11(火)朝のガンガー

※この記事は、インドzine完成を記念して、過去(2023年4月)の日記を公開するという、極個人的なイベントによるものです。

前回までの記事はこちら:

mih0o0o0.hatenablog.com

mih0o0o0.hatenablog.com

mih0o0o0.hatenablog.com

-----------------------

 

朝4 時半起床。ギリギリ1時間眠れたくらいだ。疲れている。サッと支度をして、ホテルに頼んでいたガンガーの船ツアーへ。ホテルからガンガーへは歩いて6分ほど。今日面倒を見てくれる人について、岸辺へと向かう。まだ朝日は昇らない。

 

ガートに書かれたペイントがきれい



船を出してくれた

ガートの一番端まで行くと、木製のボートに乗り込む。エンジンはちゃんとついていて、まずは川沿いをボートでゆっくり流していく。

朝日が昇る前、空は青と灰色が混ざったような色になって、川と空の境目に線がちょうど引かれ、鏡合わせみたいだった。

朝日が少しずつ顔を出すと、どんどんオレンジに染まっていって、オレンジと青のグラデーションがあんまりにも綺麗だった。やっぱりこれはチャオプラヤーでも荒川でもない、ガンガーだ、と思った。

朝日に染まるガート

 

それから、遺体の火葬場も船の上から見た。ガンジス川沿いには、いくつか火葬場がある。だから遺体を運んでいる瞬間にも、焼かれている瞬間にも遭遇した。

火葬場


ガンガーに行く前は、ガンジス川って一体全体どんな感じなんだろうか、と身構えていたところもあったけれど、目の前にすると、不思議と大それたことは感じなかった。体感としては「そうか」くらい。「そうか、普通なことだよね」。“荼毘に付す”という言葉がしっくりきた。ヒンドゥー教徒にとっては、ガンジス川で火葬されて、川に散骨されることが夢なんだとか。この光景を見たら、異教徒の私でさえ、なんだかいいなと思った。

花を手向ける。立派なビジネスだったけど。

 

それからは街歩きをしたり、行きたかった店に行ったり。若い西洋人の旅行者もちらほらと見かけた。昔はもっとディープな場所だったのかな。タイのカオサン通りがもうバックパッカーの聖地ではなくなったのと同じように、ここもきっと変わっているんだろう。そしてアレルギーなのか喉が痛い。鼻が詰まってきた。あまりよくないぞ。明日はデリーだ。



4/10(月)ヒンドゥー教の聖地・バラナシ

※この記事は、インドzine完成を記念して、過去(2023年4月)の日記を公開するという、極個人的なイベントによるものです。

-----------------------

ヒンドゥー教の最大の聖地、バラナシに着いた。発音はワーラーナシーのほうが近い。

この街には日本の北から南まですっぽり入る大河、ガンジス川(インドではガンガーと呼ぶ)がある。ガンジス川に沿って、石段(ガート)が建てられていて、早朝は沐浴、夕方は礼拝が行われる。したがって、ガンジス川付近に街があり、私たちも川近くにホテルを取った。

f:id:mih0o0o0:20230817004322j:image

ホテル名は「Rose Heritage Hotel」。モロッコ洞窟ホテルを思わせるような、可愛らしい内装のブティックホテル(モロッコは未踏だが、一緒に行ったSちゃんが、ここはまるでモロッコだと言っていたので採用させていただいた)。

まずは荷物を置いて、街を散策してみることにした。我々は3人なので、ベッドは毎回ジャンケンで決める。大体の部屋はツインベッドで、サブベッドが1つ付いているようなかたちになる。だからジャンケンで勝った人からいいベッドを取っていくという方法なのだ。ただし、まずはどの部屋orベッドがいいか立候補制になる。私はつい可愛い部屋(ベッドは1つ)を立候補したのだけれど、これが間違いの始まりだった……。

午後にバラナシに着いたので、街ブラをしつつ、夕方にガンガーで行われる礼拝を見に行くことにした。バラナシの街はとても古く(空港からのタクシー運転手が、バラナシは古い街だからとてもいいよと言っていた)、小さく、いろんな人や牛が行き交い、どこを切り取っても絵になった。


f:id:mih0o0o0:20230817005556j:image

f:id:mih0o0o0:20230817005601j:image


中心地あたりでトゥクトゥクを降りて、小腹が空いたので、屋台のスナックを試してみることにした。バラナシで見かけたスナック(コロッケみたいにちょっと小腹を満たすようなもの)は、ほとんど揚げ物だった。おじさんたちが何やら揚げ物台の前に集まっている。

3人でそれぞれ異なる揚げ物を買ってみることにした。食べる。私が買ったものは、中にジャガイモやチーズ(パニールと呼ばれるカッテージチーズかもしれない)、スパイスやお肉が入っていた。おいしい。これならコロッケをアレンジしたらつくれるかもしれない。

ジャガイモの中にチーズが入ってすごくおいしかった(右)

さらにその手前の屋台で何やら野菜を刻んで、豆と一緒にアルミの容器に入れて売っているかなりハンサムなおじさん(雑誌レオンに出てきそうな見た目)に、これも食べたいですと注文。ニコニコつくってくれて、なんと「金はいらないよ、その代わり写真を撮ってくれ」とのことだった。どうやらハンサムさは中身からやってくるらしい。これもまたとてもおいしかった。

素敵なおじさま

そしてついにガンガーへ向かって歩き出す。同時にたくさんの人もガンガーへと向かう。

f:id:mih0o0o0:20230817005057j:image

ガンガーへの道の両サイドにはたくさんのお店が立ち並び、声かけなども多い。夕日が沈み始めた頃、ついにガンガーが見えた。入口付近には、サドゥーと呼ばれる、全身を灰で白く塗った修行僧がいた。無茶苦茶なヨガのポーズをして、マリファナを吸っていたのかな、あれは。ウィキペディアで調べると、白い灰を塗ってほとんど全裸で過ごすのは、サドゥーのなかでも「ナーガ」と呼ばれる人のことらしい。ちなみにナーガは、タイや周辺国では、蛇の精霊のことで、お寺などには必ずモチーフとして用いられている。やはりインド神話を由来としているらしかった。世界はつながっている。

さて、礼拝をどこで見ようか、とあぐねていると、すかさず日本語の話せるインド人。うちの建物の上がいいよ、と案内される。たしかによく見えたし、どこか探すのも疲れるため、こちらで決定。18:30くらいから礼拝は始まった。

最後のほうはトランス状態

 

川ギリギリにステージらしいものが7つ並んでいて、その周りを大勢の人が囲む。ちなみに川にはボートが密集して、船上からも見られるようになっている。現代的なドラムセットが鳴り響き、鐘が慣らされ、人々が手を叩く。ステージでは火を扱いながら、音に合わせて緩やかに踊る。一種のトランス的な体験がそこで生み出されていて、まるでコンサートを見ているような気持ちにさえなった。ヒンドゥー教がこれだけエンタメ要素を含んでいるとなると、たしかに仏教などの静かな宗教は端へ追いやられる(インドでは)のもわからなくもない気がした。

礼拝は1時間ほどで終わり、さくっとご飯を食べてホテルへ。ちなみに先ほど私が選んだベッドがまさに簡易ベッドだったのだ。トホホ。しかも通りに面しているからうるさい、眠れない。そうしているうちに朝の3時になった。4時半には朝日を見るために起きなくてはならないのに……。しかもなんだか鼻がムズムズしてきた。これはこの部屋のアレルギーだ…と思ったのだが、後々ひどいことになる。

おんな3人インド旅のzineができた

f:id:mih0o0o0:20230815001427j:image

4月にインドに行ってきた。1週間ほどの旅だったけれど、それはそれは楽しかった。

この記事↓など参照(途中というか2日で更新が止まった…)

mih0o0o0.hatenablog.com

mih0o0o0.hatenablog.com

 

そしてその旅をまとめたzineが完成した。わーい。


f:id:mih0o0o0:20230815001540j:image

f:id:mih0o0o0:20230815001543j:image

 

普段はバンコクに住んでいる2人と、東京に住んでいる私とで、インドのチェンナイで落ち合い、そこからバラナシ→デリー(アグラ)と旅をした。

ぶっちゃけ全然1週間じゃ足りなかったのだけれど、もともと耳鼻口腔が弱いので、3日目くらいに風邪を引いた。マスクはあまり得意じゃないけれど、次にインドに行くときには、少しケアをした方がいいのかもしれない。だって暑いけどすごく乾いているから。

f:id:mih0o0o0:20230815001624j:image

実はこれからタイに向かうところで、空港の出発ロビーでこれを書いている。飛行機に乗る前って、割と時間にゆとりがあるから、こうして日記も書けてうれしいな。

タイに行ったら、zineの完成を祝して(?)、友達がやっているごはんやさんでインドパーティーをする予定! そのときにこのzineも売るよ(初売り!)それから、9月にzineのイベントにも出させてもらうかもしれない。zineをきっかけに、いろんなところに顔が出せたり、イベントに参加させてもらえてうれしいな。

ところで、zineの内容はというと、3人娘それぞれが書いた日記がメインで、あとはインドの写真やらカレー探報やらという構成になっている。デザインなどは毎度のことながら素人の私。でも毎回楽しくやっている。でもそろそろプロの方に頼んだ方がいいかもしれない。

f:id:mih0o0o0:20230815001649j:image

そんなわけで、自分のプチインド祭りとして、日記の内容をチョロチョロとここでシェアしていきたいなと思っています。私の日記は読めても、あとの2名の日記は読めないし、なにより写真とかカレー探報がおもしろいから、ぜひ買ってほしいです!!!(とはいえそんなに部数がない)

 

あ、そして今日は台風7号が近づいていますけれども、たった今羽田空港で流れたアナウンス。「離陸後、飛行機が揺れることが予想されます」だってさ。あーあ、これはいやだよ。無事に到着できますように。