フリー編集者の人生を見つめる日誌

〜生きることってどんなこと〜

4/13(木)タージ・マハルとアグラ城のツアー

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※この記事は、インドzine完成を記念して、過去(2023年4月)の日記を公開するという、極個人的なイベントによるものです。

前回までの記事はこちら:

mih0o0o0.hatenablog.com

4/11(火)朝のガンガー

4/10(月)ヒンドゥー教の聖地・バラナシ

4/9(日)南インド・チェンナイ2日目

4/8(土)インドについた

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北インド・デリーに来た理由は、タージ・マハルに行ってみたかったから。タージ・マハルのあるアグラ市は、デリーからは距離がある。最初は宿泊する?なんて話もあったけれど、デリーからはいくつも日帰りツアーが出ているので、それらを利用することにした。自分たちで電車で行くという手もあったけれど、とにかく楽なほうを選ぶことにした。それで正解だった。

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日本語ガイド、昼食、タージ・マハルとアグラ城のチケット、交通費などなどがすべて含まれているというツアー。まだ体調は優れなかったけれど、とにかく熱いチャイをキメて、迎えのタクシーに乗り込む。人でごった返すニューデリー駅を素通りして、次の駅(名前を忘れてしまった)から電車に乗り込む。2等だったけれどクーラーもついて、リクライニングシートだし、食事も出て、コンセントもあるし、なかなか快適だった。

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2時間くらいであっという間に着いた。やっぱり線路沿いは貧しそうな町や家や人が多かった。なんでかな?と隣に座ったMちゃんに訊いたら、「みんなが住みたくないところだからじゃない」という答え。たしかにそうだ。

 

タージ・マハルのある駅に着くと、声かけのおっさんたちであふれかえっていた。これを吟味しながらタクシーを探すのは辛かったね、私たちはツアーを頼んでしまってよかったね、と話した。ガイドさんとは駅で落ち合った。ちなみに彼は弁護士で、小学校のオーナーでもあって、夢は議員になることで、ガイドの仕事は暇をみてやっているとのことだった。何を信じるべきかわからない。弁護士カードとか学校の写真も見せてもらった。日本とインドの常識の尺度が違うのだから仕方ないか。

ツアーの車に乗ったら花のネックレスのプレゼント。ヒンドゥー教でおなじみマリーゴールド



タージ・マハルへは車ですぐだった。周りには何もなくて、ただポツンとその墓(=タージ・マハル)がある。インドの灼熱の太陽が地面へと注ぐし、私たちはそれを直で受けることになる。


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遠くから見たタージ・マハルは、よくポストカードで見るそれとまったく同じだった。真っ白で美しい曲線を描いた建物。インドはヒンドゥー教だけれど、これを建てたのは、イスラム王朝ムガル帝国・第5代皇帝シャー・ジャハーンらしい。だから建物はイスラム建築。昨年トルコでいくつも見た建物に似ていたもの。そう考えると、当時のイスラム建築の技術の高さがうかがえる。

 

タージ・マハル建築の特筆すべき点は、象嵌(ぞうがん)らしい。象嵌とは、土台となる素材を彫って、そこに別の素材をはめ込んでいく技術のこと。やきものの象嵌については知っていたけれど、大理石などでも行われるということは知らなかった。タージ・マハルにはお花の柄やイスラム語が描かれているのだけれど、これはペイントではなくすべて象嵌。だから350年以上経っても消えることがないんだそう。


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外は焼けつくように暑かったのに、タージ・マハルの内部に入ると、ひんやりと冷たかった。これだったら多分クーラーはいらないと思う。昔の建物はよく考えてつくられていたんだなと思った。もし世界が利便性やお金に惑わされなかったら、もっと環境に優しい暮らしができていたに違いないのに。

 

ちなみに、タージ・マハルは、この5代皇帝と妻が眠る墓。彼には何人もの妃がいたらしいのだけれど、ムムターズ・マハルという妻をたいそう気に入って(美しくて若くて聡明だったらしい。グサグサくる)、早死にした彼女のために、22年間かけてこの墓をつくったんだってさ。死んだあと、22年も愛が続くってすごくない?

 

アグラ城は、日本人の誰かのブログで読んだけれど、ルパン三世の“カリオストロの城”そっくりな気がした。赤くて、無骨で、すごく大きなお城。


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お城として機能していたのは300年くらいらしいけれど、その間一度も敵に攻め込まれたことがないんだって。城塞はものすごく高いし、城塞を登れたとしても、その途中にライオンとかトラとかクマとかの獣を置いておいたらしい。お城の中央の道も傾斜がついていて、敵が入ってくると油と水を流せるような仕組みになっていた(ヌルヌルすべって進めない)。

そしてここでもたくさんの象嵌細工を見ることができた。

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3代の王様が住んで、それぞれが増築をしたので、住まいに個性が出ていておもしろかった。タージ・マハルを建てた第5代皇帝シャー・ジャハーンがつくった部屋は、やはり大理石でできていて、美しい象嵌が施されていて、まるでタージ・マハルのようだった。

 

Mちゃんは昨日から体調が悪くて、アグラ城は断念。ツアーに組み込まれているお土産屋さんで休んでいた。たぶん私とMちゃんは何かに感染したんだと思う。Mちゃんと無事合流して、デリーのホテルへと戻る。ホテルでルームサービスを頼んで、今日は終わり。

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