フリー編集者の人生を見つめる日誌

〜生きることってどんなこと〜

インド行って帰ってきて、離婚して、恋人ができるなど

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はあ、いろんなことがあった。そしてまた前の日記から数ヶ月経っちゃった。

インドの記録をしていこうと思ったのだけれど、まずインドで風邪でダウンした。そしたらなんの気力もなくなって(でも日記自体は他に記してあるので、zineを発行するタイミングで、載せていこうと思っている)、ヨタヨタと日本に帰国した。それが4月のこと。

インドから帰ってすぐ、長く友人関係にあった人と付き合うことになった。彼とはタイの遊び場で出会って、タイ時代も日本に帰国後もなんだかんだでよく遊んでいた。というか元パートナーとも仲が良くて、元パートナーのコンピレーションアルバムに参加したり、一緒になんか作ったり、みたいなことをしてた。どっちもミュージシャンだから。世の中ってややこしいしシンプル。

それはそうと、紙ペラ1枚の(国際)結婚もしていたし、なんだか踏ん切りがつかなくて、離婚届を持っていけない自分もいた。まあ誰のことも好きじゃないし、このまま離婚しなくてもいいか、その時がきたらそうしよう、などと悠長なことを考えていたら、「付き合うぞー!」となり、「それで、その紙いつ出すの?」となり、たまたまだけれど2年目の結婚記念日になるはずだった日に離婚届を提出した。人生とは冗談のようなものだよ。

だから正直、新しい恋人ができて、離婚届を出すという、世間にはあまり発表できないような順番になってしまった。(当人同士納得してるので大丈夫だと思っている)

元パートナーとも普通に仲が良いというか、ソウルメイトというか、自分の半分みたいな人だったから、きっとそれは変わったり、変わらなかったりしながら、でもなくなることはなく、なんかどっかにあるものなんじゃないかな〜とか思っている。

 

そして今、友達だった彼と一緒に同棲している。同棲までしちゃってる。たまたま私の家の更新が迫っているタイミングで付き合ったのもあり、「あ、どうしよう、外国行こうかなどうしよう」とボケボケ考えているうちに、これもまた「同棲だー!」ということになった。新しいこととか場所とか、自分では行けない場所に誰かが導いてくれるのが好きだ。だからよかった。

 

私は元気に生きています。

 

インドのzineは無事今日入稿できた。インドに行った女3人組の日記と、カレー日記とかもある。また手元に届いたら宣伝させてください。

4/9(日)南インド・チェンナイ2日目

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いまこれを書いているのは、バラナシに向かう飛行機の中。隣に座っているおっちゃんが、私のパソコンをのぞいて何か言っている。日本語が打ち込まれていくのが面白いのだろうか。かなりやりづらい。

 

昨日は特に何も予定を決めていなかったから、朝起きてからいろいろと考えた。

まずはチェンナイいちおしゃれで居心地がいいと言われるカフェに行き、まったりすることにした。カフェの名前は「Chamiers Cafe」。

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いわゆるコロニアル様式で、イギリスの植民地時代のいいおうちっぽい内装。かわいい。「フィルターコーヒー」という南インドのコーヒーを飲んだ。


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味は日本で言うコーヒー牛乳で、2つのカップに行ったり来たり注いでつくる(2つ容器がサーブされるので、自分でコーヒーをあっちこっち入れ替える)。なんでこんなことをするんだろうね?と予想してみたが、1. インド人は猫舌らしいから、冷ましている 2. 泡立つのがカプチーノみたいでおいしい の2つの説が出た。真相については調べていないのでわからないけれど。

 

そのカフェの下はいくつかブティックになっている。日本人のブログに「チェンナイの代官山」と書いてあったけどまさしく。代官山にありそうなブティック&カフェなのだ。

 


インド綿を使ったデザイナーズドレスが並ぶお店、ジュエリー、小物、カジュアルウェアのお店に行った。「Anokhi」というファッションブランドがとてもかわいい&リーズナブル(チュニックが2000〜3000円くらい)で、しかもプリントではなくスタンプ(インドの柄のパターンは、スタンプで色を付けていくのが伝統的な手法)だった。ブラウスを2着とレターセットを購入した。ファッションだけでなく、ブランケットやカーテン、テーブルクロスなど、インテリアファブリックも豊富だった。このブランド、インド全土にありそうなので、Sちゃんは最終地点デリーでブランケットを買って帰ると言っていた。

 

それから、人気チェーン店「Geetham Veg Restaurant」にてお昼。

ベジタリアンのお店なのだけれど、メニュー数がかなり豊富。何を頼んでいいのかわからなくなるくらいだ。お店はとても広いのだけれど満席。すぐには入れなくて、外で少し待つことになった。従業員も多くて、ざっと見ただけで30人はいたと思う。

ウェイトレスはとても親切で、あれこれメニューの相談に乗ってくれる。「これもおいしいよ」「これはどう」などいろいろとおすすめも教えてくれた。そこで食べたチーズ(のようなもの)のケバブが大変おいしかった。


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タレをつけて野菜と一緒にグリルしてあって、パセリか何かのグリーンのソースにつけて食べる。レモンとコリアンダーのとろりとしたスープとか、いつものミールスセットとか、中華っぽいヌードル炒めとかいろいろと頼んだ。そしてどれも大量。ほんとうにみんなこんなに食べられるのかな?とよそのテーブルを見てみると、たしかにみんなたいらげていた。インド人って、すごい大きい。とてもふくよかだし、これくらいへっちゃらの様子。私たち日本人って、鶏がらみたいに映るのかな。


それから一度ホテルに戻って休憩。暑いからすぐに疲れる。それにもう30代半ばだから、無理はしないようにしよう、が合言葉。

その後アーユルヴェーダを体験する予定だったのだけれど、疲れてしまって、ただ部屋でゴロゴロ。やっぱり恋愛の話。私は相手に期待しすぎているとのことだった。「こんな私だけれど愛してくれるよね?」という圧がすごいんだって。確かにそうかもしれない。相手には全部を見せてしまいたいし、そのうえで丸ごと受け止めてほしい。どうしようか……。

 

ボケボケしていたら16時。今日はサンセットをビーチで見る予定だったので、チェンナイ のミュージシャンがおすすめしていた(記事で読んだだけ)静かなビーチへ。チェンナイで有名なのは「マリーナビーチ」だけれど(世界で2番目に長いビーチ)、人がすごいらしいので、少しニッチなビーチを選んだ。しかしビーチに着くと、夏の逗子海岸みたいだった。そこらじゅうに人。みんなビーチに腰をおろして海を眺めている。いいね。水着を着るカルチャーはないようで、女性はサリーのまま、男性は上半身くらいは脱いで、下はパンツで入水。意外にも波が立っていて、サーフィンができそうでもあった。

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いく途中で気が付いたのだけれど、サンセットは反対側に沈むのだ。こっちは東側だから朝日は見られても、夕日は見られない。それでも空がオレンジに染まって美しかった。

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陽が沈んだようなので、歩いてレストランに行くことに。マップで見ると、ビーチをさらに南下すれば着くようだった。徒歩19分くらいなのでお散歩がてら歩こう、と歩いていくと、ちょっとぼろっとした港町が見えた。マップではこの街を通過せよ、となっている。

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空にはカラスが飛びまわり、野犬がたくさんお出迎え。牛も大量にいる。おうちは藁屋根のようで、たまに干からびたタコが半規則的に並んでいる。ちょっとただならぬ雰囲気。

しかもその町(と言っても全長200mくらい)に入る前、「ウェルカムトゥーインディア!」と2人乗りのバイクの男性に言われた。今まで冷やかしや声かけがなかったのでめずらしい。

町を歩いていても家の外に腰かけた女性が「ハロ〜」と力なく声をかけている。そしてその奥をみると、妖艶なライト。Mちゃんが「あ、ここ売春宿だ」と言った。確かにそうかもしれない。女の人はとろんとした目をしていた。ゴミも多いし、怪しさも極まって、そそくさと突っ切る。やっとその町をパスすると、今度は砂浜に不思議な遊園地とテント。まるで寺山修司の世界だな、と思った。夢みたいだった。

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それからは「今日こそはビールを飲むぞ」と、パブを探す。なかなかUberが来なくて困っていると、インド人の男性に日本語で話しかけられた。「日本人ですか? 私は富士通で仕事をしています。妻も日本語が話せます」といろいろ教えてくれた。外国で日本語で話しかけてくる人は怪しいが、この彼はほんとうに富士通の社員のようだった。そうしている間にタクシーが来て、ビールが飲めるパブへ。外から見ると店の窓は全て黒のスモークで貼りめぐられている。やっぱり若干タブーなのかもしれない。インドのビールを2種類飲んだ。「British Empire」と「Foster's」。どちらも8%のアルコール度数で、すぐにいい気分になった。ハメを外しすぎないように気を付けて、今日もきちんとホテルへ帰宅。ついにバラナシだ。

 

4/8(土)インドについた

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羽田からマレーシアを経由し、いよいよインドに着いた。

乗ったのは、あのマレーシア航空。予約するまですっかり忘れていたのだが、マレーシア航空って何度か不運に見舞われているのだ。まずは2014年。ウクライナ東部を飛行中の旅客機が何者かによって追撃され、乗客298名全員が死亡したという悲惨な事件。ロシアが関与しているとBBCで読んだ。もうこの頃からウクライナ-ロシアは不安定だったわけで、そこに巻き込まれた可哀想なマレーシア航空。そして同じく2014年、有名なマレーシア航空370便失踪事件。最近ではNetflixでドキュメンタリーシリーズも放送されている。

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インド洋に墜落したって結論付けられたらしいけど、機体の破片もひとつも見つかってないんだってね。うーん不思議。乗客はもちろん誰ひとり帰らなかった。

という、マレーシア航空。ややビビっていたものの、何の問題もなく着陸した。

 

着いたのはチェンナイ国際空港。

南インドの玄関口で、インド4大都市に数えられるらしい。インドに入国するのは日本人でもビザが必要で、パスポートコントロールでは、「何日滞在するの?」「何するの?」「どこ行くの?」とアメリカばりに聞かれた(いまはアメリカもそんなに聞かれないんだろうか)。ようやく外に出ると、ムワッとした空気。けれど湿気はないから、タイよりも過ごしやすいのかなと感じた。

 

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空港のタクシーを頼むと、荷物を乗り場まで運んでくれるおじさん。

「I’m very poor. I don’t have parents. Only me and sun and daughter.」と。つまり金くれよってことなんだけれど。あいにく小さいお金を持っていないし、50mついてきてくれるだけでたくさん払うのもな〜と思って、「Sorry. I don’t have any small cash」と言ったのだけれど、食い下がってくる。「めっちゃ小さいの、こういう小さい紙幣でいいから!」とおじさん。大変申し訳ない気持ちになったのだが、おじさんを振り切って車のドアを閉めた。

 

続いて運転手。道に迷った。道に迷ったあげく、最後に「3km多く走ったから金くれ」と。「私のミスじゃないし、もうお金は払ってあるから無理」と言ったら、彼は力なく笑った。

 

そんなこんなで、タイの友人、MとSとホテルで合流できた。彼女たちは昨夜バンコクからチェンナイ入りしたのだ。私は素早くシャワーだけ浴びて(ちょっと歩いただけなのに汗だく)、まずはお昼ご飯を食べに。南インドのカレーが食べられる「Murugan Idli Shop」へ。

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まずバナナリーフがランチョンマット的に配られて、メニューを決めたら、そのリーフの上に直接サーブされる。驚いたのだけれど、全てが土に還るものだった。スプーンは木だし、器は枯れ葉を型に固めたもの。プラスチックなんてどこにもなかった。食事はワンコそばスタイル。カレーがどんどんサーブされる。米、ドーサ、イドゥリ(米の発酵蒸しパン)を食べて、大満足。

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そのあとは念願のタラブックスへ。タラブックスは日本でも人気の南インドの出版社。絵本を主につくっているんだけど、全部シルクスクリーンで、一つひとつ職人による手づくり。挿絵はインドの民族の伝統芸術なんだそう。一緒に旅行中のMちゃんからタラブックスの存在を知って、日本でいくつか買い求めていた。そして今回、タラブックスへの訪問が叶った(というかむしろこのために南インドに来た!)

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タラブックスは郊外にあって、ここ以外見どころがなさそうな場所だった。中に入ると、1階は絵本やノート、ポストカードを販売するショップ。2階は行っちゃいけないよ、と言われたけれど、おそらくここでデザインや企画などしているんだろう。「どこでプリントしているの?」と聞いたら、ここから少し先にシルクスクリーンの作業所があるとのこと。時間が限られていて行けなかったけれど、見てみたかったな。いくつかメモ帳やポストカードを買って、市街に戻る。

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夜は歩いてビリヤニのおいしいお店へ。

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最近の恋愛事情について根掘り葉掘り聞かれる。私は回避型(追われると逃げたくなる)なので、不安型(追うことがすべて)の人とは相性がよくないから、好き好き言われる恋愛はだめだ、とクギを刺される。

マトンビリヤニとチキンティッカ、エッグマサラなどを注文。どれもとてもおいしかった。インドにはお酒がない(あると思うが容易には見つからない)。だからホテルにまっすぐ帰宅して、泥のように眠った。

ランチについてくる生野菜/喫茶店はクリエイティブ/偏頭痛

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なんでかこのブログのアクセスが伸びていて、日記を続ける気になった(単純)。

突然だけれど、ランチについてくる生野菜のサラダが嫌いなので、できればつけないでほしいのだけれど、お店のほうでは、「万人は野菜を摂取したいに違いない」と思っているのか、割りに高い頻度で添えてくる。もちろんそういう自分のほうが少数派に違いない。そりゃ野菜でビタミン摂取したいよ。どちらかというと私はスープのほうがうんとうれしいです。

そんな私は今喫茶店にいる。仕事は家でやるのだけれど、自分のために(あまりお金にならないようなものを)つくるとき、どうしてなのか家だとちっとも進まない。家ではお金になるものに対してのスイッチしか入らなくなってしまった。

普段、仕事がある平日は、朝起きて、まずはベッドで1.5時間ほどだらだらし、ようやく布団から出ると、水を飲んで、ケトルのスイッチを入れ、コーヒーかお茶を挿れる。それからボサボサのパジャマのまま、デスクに座って、いきなり仕事が始まる。すごくタイパ(今流行っている言葉らしい)がいいよね。通勤する必要がなくて、すぐそこが仕事場なので。通勤時間がないので、むしろみんなより早く仕事を始めているんじゃないかと思うけど、そもそも出版業界は朝遅く、夜遅いので、一般的な企業とは比べられないかもしれない。

で、土日。私にはつくりたいものがあって、新しいZINEなのだけれど、それが家だとまったく捗らない。まずデスクに座りたいとも思わない。だからこうして目にコンタクトだけ入れて、上下フリースに身を包み、のそのそ近所の喫茶店に来ているわけです。といっても、やっぱり進まないからブログなんて書いちゃってるし、本も読んだし、再来週に行くインドのビザとホテルなんかを予約していた。そうしてお昼にミックスサンドを頼んだところ、例のあれ(生野菜のサラダ)がついてきたというわけ。まあいつもここにきているから知っているんだけど。

この喫茶店は自分のために何かをしたいときにとてもいい場所で気に入っている。コンセントもあり、お年寄りが多く、一人客も多く、地域のマダムも多い。家はいつの間にか会社的なものになり、自由なデスクでなくなってしまった。もうひとつ作業テーブルを設けたほうがいいのだろうか。もうちょっと、クリエイティブな空間に整えなくてはいけないなと思った。

 

新しいZINEは、メンタルヘルスについて書こうかなと思っている。メンタルの調子が悪いとき、私のお友達は偏頭痛だった。偏頭痛とは、頭のどこか(後頭部の右とか左とか)がガンガン痛くなって、起きてられないほどになるやつです。メンタルが改善されてから、しばらくはあまりひどいのはなかったのだけれど、つい最近、立っていられないほどの偏頭痛になり、うちのめされた。

閃輝暗点というのを知っているでしょうか。急に視界が1/3くらい見えなくなって、サイケデリックな動くギラギラが見えてしまうやつ。

勝手に貼らせていただき恐縮ですが、漫画で読むとわかりやすいよ。

閃輝暗点、ほんとうに嫌い。最初になったのが、ひとりでラオスビエンチャンを歩いているとき(なぜ歩いていたの)で、死にかけた。フォー屋さんに駆け込んで、水をすごい勢いで飲んで、死に物狂いでゲストハウスに戻って寝た。そういえばこのゲストハウスほんとうにおもしろかったから、いつか紹介したい。

少し紹介すると、私はなぜかタダで泊めてもらうことになり、最上階には、若い女の子にエロい話を聞かせるというセクハラを行っている(らしい)金持ちの日本人サワイさん(だったかな)が住んでいた。私はサワイさんに挨拶をすることになり、そこに泊まっていたラオスリーグの日本人選手とともにサワイさんの部屋に行くんだけど、エロい話は1ミリもなく、ただビールをご馳走になった。

まあそんなわけで、閃輝暗点はとてもこわいのだ。なぜなら、これが見えたあとには、ものすごい頭痛が待っているから。幸い、先日はすぐに痛み止めを飲んで眠りについたので、痛みを引きずらなかった。そんなわけで、メンタルヘルスとか健康事情の生活について書こうかな〜と思っている。

 

 

追伸:アクセスが伸びた理由がわかりました。はてなブログ編集部で、私のブログをピックアップしてくれていました。(あまりに初心者なので、いろんな仕組みを知らない)

日記はつづかない」という記事を取り上げてくれたことにより、私の日記はつづきそうです。ありがとうございます。

大泣きと生理休暇/河合隼雄と映画2本

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今日は寝起き早々大泣きした。

悲しみはそう簡単には乗り越えられない。目がもう開かなくなってきたタイミングでベッドから起き上がり、温かいお茶を淹れて、昨年末購入した万年筆で詩を清書したり、落書きをしたりした。少し気持ちが落ち着いたので、トイレに行くと、生理。ほぼ毎日泣いているので、泣くことは特別なことではないけれど、えんえん泣くのはめずらしいから、やはり生理でなのだろう。ホルモンは、善人顔して、そっと近づいてきて、まるで私自身が誰かを嫌いになったり、自分を嫌いになったり、世界でひとりぼっちになったと錯覚させる。すごいやつだ。

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少しだけ仕事をするも、あまりやる気が出ず、今日マストで終わらせなきゃいけないものだけやって、勝手に生理休暇とした(フリーランスなので原則はない)。昼は無印のカレーがあって助かった。パウチは湯煎する派なので、そのときに水から卵を入れておいて、パウチが温まるまで加熱すると(同じ鍋でね)、ちょうどよくゆで卵になるからおすすめです。やってみて。

 

ご飯を食べながら、河合隼雄さんの京大での最後の授業というYouTubeを観た。とてもおもしろかった。

youtu.be

河合隼雄さんは、日本の心理学の第一人者で、『こころの処方箋』などで有名だけれど、私も不安神経症に悩んでいたときに読んだ。村上春樹が尊敬している人というイメージが強かった。でもお顔を見たこともないし、まして動か姿なんて想像もしていなかったから、気さくなおじさんで拍子抜けした。こんな講義なら大学サボらないなと思った(ほんとかよ)。

www.shinchosha.co.jp

それから気分がよくなって、少し昼寝をして、起きてからは、U-NEXTで映画を2本立て続けに見た。ひとつは『ベルリン・天使の詩』(英題:THE WINGS OF DESIRE)。『パリ・テキサス』の監督ヴィム・ヴェンダースによる1987年の作品。まだドイツが東西に分かれていたときで、壁が頻繁に登場する。戦争やナチスについてももちろん語られているし、映像も美しく、音楽もよかった。

ストーリーは、天使が人間に恋をして、人間になるため下界に降りるというお話。まったく方向性は違うけど、私が最初に好きになった漫画『ときめきトゥナイト』を思い出した。

youtu.be

そのあと観たのが、押井守監督の『機動警察パトレイバー2 the Movie』(1993)。そもそもこの映画の存在を知らず、Filmakersをチラッと覗いて発見。やっぱりおもしろかった。ストーリーもだし、カメラワークとか、映画で描かれているテクノロジーとか、今から30年も前につくられたなんて思えない。そして押井守監督はもう70歳になっていた。どうか長生きしてください。

youtu.be

そしてあっという間に夜。お風呂はよく眠れるらしいバスソルトを入れて、叶姉妹ポッドキャストを聞くというルーティーン。決まったことを毎日やるのは気持ちがいい。今日は悲しい気持ちで、誰とも会話をしないし、メッセージもできなかったけど、それでいいよね。ものすごい勢いで閉じる日があってもいいよね。あ、だけど今日は母の誕生日で電話した。おめでとう、母。

 

日記はつづかない

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いつもどおり、私の日記はつづかない。最後に書いてから、78日が経ったんだって。そりゃあっという間に1年も終わるわけだ。「わかりあえない」というタイトルの日記は、いま読み返すと結構よかった。

mih0o0o0.hatenablog.com

あれから2.5ヵ月くらいが経ったわけだけれども、その間の1ヵ月くらいはタイとラオスに行っていた。そうだ、ラオスのことはきちんと記録しておいた方がよかったに違いないのに、すっかり忘れていた。ラオスルアンパバーンという都市に数日いて、あとはほとんどタイにいた。そのことについてはあとで機会があったら書きます。

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今日は一日中雨。雨の日は心が鎮まるので好きだ(どれだけ普段荒ぶっているのか)。家から一歩も出ない日の雨が特に好きだけれど、今日は夜に外出するので、その時だけピタリと止んでいただくか、私の上にだけなんちゃらマントが出現して、雨をカバーしてくれないかな。夜は、ずっと気になっていた、土器でワインを飲むお店に行く。バンコクで料理屋さんをやっている友人に教えてもらった。

 

昨日は地元に戻って山歩きをした。カタクリの花が見頃だった。それから、すごく小さくて可憐な花をつける木を見つけた。

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調べてみると、ヤマウグイスカグラという種類らしかった。日本の固有種だって。花好きの友人が言っていたのだけれど、日本とか韓国とか、東アジアの花は色があたたかくて控えめで優しいと。西洋は少し妖艶で毒々しいものが(?)多いらしい。東南アジアはパキッとしたビビッドな花ばかり。気候と生き物の関係はとてもおもしろい。

 

明日もこの日記がつづくとは思えないけれど、日記はそれでもつづく。

わかりあえない

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親友だと思っていた人が、親友じゃなくなって、恋人と思っていた人が、恋人じゃなくなって、夫だと思っていた人が、夫じゃなくなって、これらは全て同じ人だけれど、ロマンスが消えた。蝋燭に火が灯っていたと思っていたのは、もしかしたら私だけかもしれなくて、もうずっと昔に消えていたのかもしれない。ポッキリと折れた。それが私の2022年。人と私の距離を考える。私は誰のことも究極にはわからない。私には私のことしかわからない。私の頭の中、心臓、汗、焦燥感、ときめき、愛。この人と私は手を繋いだ、わかりあえた、これ以上わかりあえる人はいない、この人が私のソウルメイトだ、そう思っても、そうじゃない。本当にはわかりあえない。その意味では、人間は、あらゆる生物は、孤独である。私たちはつながりを求めるけれど、真にわかりあうことはできない。そのことが深く深くわかった。一方で、死んだ父と、生きている母の、秘密の話を聞いたとき、これは愛だ、少し確信に触れたのだ、と思った。だから信じてしまう自分もいる。他の人間に溶けいって、覗いて見ることができたらな。けれどそんなことは絶対にできない。人の痛みを知ることはできない。同じ痛みを経験してのみ、自分を通してその痛みを経験することはできる。年末にこんなことを書いている。すっかり抜け落ちて、するりと、手から離れていった。何をつかんでいたのか。

 

大変個人的なつぶやきですが、これが私の、2022年12月30日の気持ちです。よいお年を。